劇作家の井上ひさしさんは昨夏、先の戦争責任をテーマにした「夢の痂(かさぶた)」を舞台に載せた。書き進めていくうちに、日本語を“被告人”にすることになったという。
去年夏天,剧作家井上hisashi先生以以前的战争之责任为主题的作品《梦的疮痂》被搬上了舞台。据说,在剧本的创作过程中,日语变成了“被告人”。
「日本語は主語を隠し、責任をうやむやにするにはとても便利な言葉だから」。戦争を遂行し、支えた多くの人が、戦後、責任をすり抜けて遁走(とんそう)した。それを助けたのは、主語なしで成り立つ日本語だったと、井上さんは思う。
“因为日语常常省略主语,在推卸责任方面是一种很方便的语言”。井上先生认为,参与并支持战争的多数人,在战后,都企图推卸责任逃之夭夭。而帮助了他们的正是没有主语也能说得通的日语。
英国の文豪サマセット・モームが晩年、一番うれしかったことは何かと聞かれ、こう答えたそうだ。「戦場の兵士から、あなたの小説は一度も辞書を引かずに読めたと手紙をもらったとき」だと。平明な筆致の作家ならではの感慨だろう。
要问起英国文豪萨默赛特·毛姆晚年最高兴的事情是什么时,他应该会这样回答。“在收到战场上的士兵来信说道 ‘读您的小说完全都不用查辞典’ 的时候”。这大概就是文风浅显易懂的作家会有的感慨吧。
昔から辞書は、枕にはいいが持ち運ぶのは大変、と相場が決まっていた。だが今なら、その兵士のモームへの感謝は薄かったかもしれない。手のひらサイズの電子辞書が、紙の辞書に取って代わりつつある。
在从前,辞典被普遍认为是用作枕头很不错,却不便于携带。但若是换作现代的话,或许那名士兵对毛姆的感谢就少了几分。手掌大小的电子辞典,正逐渐取代了纸质的辞典。
朝日歌壇のファンには、輪島市の山下すてさんを覚えている方も多いだろう。80年代から90年代にかけて、自らの住む能登の四季を情感豊かにうたい、毎週のように入選を重ねた。
对朝日歌坛的歌迷来说,想必有很多人都会记得轮岛市的山下sute先生吧。80年代到90年代间,他曾用丰富的感情咏唱了自己居住着的能登市的四季美景,几乎每周都重复入选。
〈遠山に雪まだあれど晴れし日は頬を包みて野火を放ちぬ〉〈沖の蒼(あお)いよよ極まる朝市に紫蘇(しそ)も売られて梅の漬けどき〉。もう亡くなられたが、歌には、風土に根ざした確かな暮らしが詠み込まれていた。
(遥远的山上,积雪依旧,晴日里遮着脸颊在野地里点燃篝火)。(深蓝的海面广阔无垠,早市上热卖着紫苏,正是腌渍梅子的季节)。虽然山下先生已经过世,但他的歌声中,充满了扎根于当地风俗的真实生活气息。