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2024/04/26 (Fri)

 萌(も)える青草を踏んで野山を歩く。晩春の季語でもある「踏青(とうせい)」には、心はずむ明るさがある。〈ジーパンに詰め込む肢体青き踏む 登四郎〉。

 踏着萌芽的青草在山野间漫步。晚春的的季语中有“踏青”一说,意指心情愉快而明朗。(穿上紧身的牛仔服去踏青  登四郎)。

 年配の方なら、往年の流行歌「丘を越えて」を思い出すかもしれない。作曲した古賀政男は大学を卒業する春、桜が満開の東京近郊に仲間と遊んだ。下宿に戻ると学帽に桜の花びらが1枚、はりついていた。その1枚から楽想をふくらませ、青春の歌を書きあげたという。

 年长的人的话,或许还会想起以前的流行歌“越过山岗”。作曲的古贺政男先生,于大学毕业的那年春天,和朋友一起去了樱花盛开着的东京近郊游玩。回到住处时发现学士帽上粘附着一片樱花花瓣。据说正是由这一片花瓣激发了他作曲的灵感,谱写出了一首青春之歌。

 東京ではもう桜は散り、きょうあたり、桜前線は秋田の辺か。いまの季節の日本列島は、淡いピンクを追うように、若葉の緑が野や山を染め上げていく。一盛(ひとさか)りの春を愛(め)でられた桜は、またもとの目立たない木となって、万緑のなかに埋もれてしまう。

 东京的樱花已经凋零,今天樱花的前线大约是到了秋田一带吧。这个季节的日本列岛,像是要追逐那片淡淡的粉红般,新叶将漫山遍野染成了一片碧绿。而在春天盛极一时备受喜爱的樱花,又变成了之前毫不起眼的樱花树,被隐没入万绿丛中。

 「そやから困るんです」と、「京の桜守(さくらもり)」として知られる庭師、佐野藤右衛門さんが嘆くのを聞いたことがある。花の盛りに人はちやほやするが、季節が過ぎれば忘れてしまう。何かで邪魔になると、大樹が安易に切られることも少なくないそうだ。歳々年々、花とて同じでいられる保証はない。

 笔者曾听到以“东京樱花守护者”而闻名的园艺师佐野藤右卫门先生感叹道,“人们的粗俗令人困扰啊”。樱花盛开的时候,人们将之视若珍宝,季节过后就将其抛诸脑后了。而且一旦妨碍到了什么的话,常常是很轻易地就将大树砍去。“年年岁岁花相似”就没了保证。

 葉桜がまわりの緑に溶け込むと、春はいよいよ深い。きょうは二十四節気のひとつ、穀雨である。〈まつすぐに草立ち上がる穀雨かな 雪夫〉。暖かい雨が土をうるおし、野山も緑を濃くしていく。そして半月あとの次の節気は、もう立夏だ。

 当带着新叶的樱树融入周围的绿色中时,春意变得更浓了。今天是24节气之一——谷雨。“令青草快速成长的谷雨啊  雪夫”。温暖的雨水滋润着土壤,山野间的绿意也变得更加浓郁。接着,半月后的下一个节气就已经是立夏了。

 古賀は自著で、「丘を越えて」は二度と返らぬ若さへの愛惜だった、とつづっている。惜春、という季語がある。だれにも二度とはない今年の春が、過ぎていく。 

 古贺先生在其自传中写道,“越过山冈”就是对一去不复返的青春的爱惜之情。在季语中也有“惜春”一说。对任何人都不会有第二次的今年春天,正逐渐逝去。


P.S. 汗~ 翻的时候一直会想到 “你知道为什么樱花会是红色的吗?” 这句话,难道是在告诉偶该去缅怀一下星昂了吗?

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